本と人とライブラリアン

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それって〈愛〉なんじゃない?―花田菜々子『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』(河出書房新社、2020)

 

 

書店員・花田菜々子さんを信頼している。会ったことないけど。

だから、めぼしの本が書店になかったがっくり感の中、自然と手に取ってレジに行ってしまった。

前著『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(2018)も一気読みしたが、今作は前作を超えている。

テーマも、構成も、花田さんご自身も。

 

今回もタイトル通りで概要の説明はほぼいらないが、新しく働き始めた2つの書店でのキャリアの話を間に挟みつつ、いわゆる「ステップファミリー」未満の、〈家族〉が形作られていく過程を記録した小説。

 

「私は70歳になったとき、どんな本棚を作っているのだろう」という主人公の呟きが、この人のキャリア、ひいては人生観を一言で表しているように思う。

 

小学校2年生と5年生の男子をもつシングルファーザーの彼氏と付き合うことになった、離婚経験者の主人公は、手探りで未知の生物(2人の男子)との距離を縮めていく。

それも、けっこうユニークな「パパの彼女」として。

近すぎず、よそよそしすぎず、でも賢く。

 

主人公の、子どもたちへの向き合い方の変化が、丁寧に記録されていく。

 

・「正しく教育する」ことと「思い通りに育てる」の違いはなんだろう。美しい魂を持って子育てしている人たちは、何を基準にその判断を下し、実行しているのだろうか。

 ↓

ドラえもんみたいな存在でいられたらいいのにな。役に立ったり、立たなかったり、でも子どもの友達で味方で、なぜか勝手に家でごはんをいっしょに食べてる人。

 

 中でも、私が一番心を揺さぶられるのは、いつの間にか100円ショップが嫌じゃなくなっている主人公がお弁当グッズ売り場で「変な錯覚」を覚えるシーンだ。

 

「・・・なぜか目が離せなくなって売り場に戻すことができなかった。

  はじめて、「私は失ったんだ」と感じた。この10年を。あの2人が赤ちゃんでしゃべることもできないときから、絵本を読んであげたり、言葉を教えてあげたり、こんなピックのついたかわいいお弁当を作ってあげたりしたかった。でも私があの2人にそうしてあげられることは一生ない。普通の母親みたいに抱きしめてあげたりすることもない。」

 

そこで、彼女は思う。

 

「私はやっぱりあの2人を産みたかったのかな?」と。

今でも自分の子どもを欲しいと思ったことがないのに。

 

それって、〈愛〉じゃなかったら、なんなの?

なんか、泣きそうになる。

 

もう一つ、印象的なシーンがある。

花火大会で合流できなくて、もう子どもではなくなっていく長男が早く帰ろうとする後ろ姿を見ながら感じている、「ママの彼女」の想い。

 

「・・・行きつ戻りつを繰り返しながら、けれどもう子どもの頃には戻ることはできないのだろう。

 新しい何かが始まっているのだ。だとすれば、その最後の数か月をいっしょに過ごして笑いあったこと、ぎりぎりに駆け込ませてもらって、大人になる前夜のミナトを見せてもらったことが、全部奇跡のように感じられる。もし出会うのがあと何か月か遅ければ、もう間に合わなかったかもしれないのだ。

 もうどこかへ行ってしまうのだろう。でも私は親じゃないから大丈夫、悲観したり縛りつけたりしたいとは思わない。どんどん行けばいい。そのほうが見てて面白い。」

 

それって、〈親ごころ〉じゃなかったら、なんなの?

〈家族〉ってどうやってできていくんだろう。

 

「でも、それでも「結婚なんて」といくら心に蓋をしても、逆らうような気持が沸いてくる。大人になっていく彼らを、見ていたい。彼らが中学生になって高校生になって、今みたいに毎日が楽しくなくなって、会話も減って、どんなに話しかけてもうっとうしがられて、虚しくなるかもしれなくても、いっしょにいることが普通で感動のない当たり前のことになってみたいなと思う。」

 

彼女は、自分の言葉に感化された若者に言う。

「自分はこういうかたちなんだ、って自分でそれがはっきりわかることがいちばんの幸せな気がします。特に大多数の人と違う感覚を抱えている人は」。

そして、友人に話す。

「・・・せめて近づける距離の中で、自分にあげれるものは全部あげようと思ってるよ」と。

 

ここに、一つの「家族」の形がはっきりと見える。

 

 

話は本そのものからはそれて私の個人的な話になる。

これまで、職場の人間関係、交遊関係の中で、私の固定観念を変える出会いがたくさんあって学んだことがある。

 

結婚していなくても素敵なシングル女性はたくさんいる。

子どもがいなくても楽しい人生を送っている女性はいる。

親が離婚しても、まっとうな人はたくさんいる。

離婚した親になった人でも、すごく幸せになりたいと願って子どもを愛している。

 

そんな風に思えている自分に、あるとき気付いた。

10年くらいで、やっと気付けるようになった。

今回、この本を読んでまた一つ新しい生き方に触れた。

 

この本は、というか花田さんの本は、奇をてらったテーマを扱ってるんじゃない。

もっと普遍的なテーマを書いてるんだ。人生と、向き合っているんだ。

 

 きっと、この本はすべての人に優しい本になる。

それと同時に、すべての人が自分や「家族」の本質を省みる本になる。

 

会う人会う人に、お薦めしている自分が目に浮かぶ。

ヨガとドライブ ―ケン・ハラクマ『ヨガから始まる : 心と体をひとつにする方法』(朝日出版社、2008)

 

 

双極性障害になってキツイな、って思うこと。それは、「自分が回復しているのかわかりにくい!」ってこと。ウツ状態から回復したら、さあOK!って病気じゃないんです。「私、回復してる!なんか元気出てきた!」って時こそ、注意が必要。「躁状態」になってる可能性があるから。メンタルの波がマイナスからゼロ地点を通り越して、大きく上がりすぎる。その後待ってるのは、下降の波…。「躁」はテンションが上がるからむしろ本人は心地よいんだけれど、その後にあのウツ状態の苦しさが来るのかと思うと、ブレーキを踏まざるをえませんでした。私の場合は、はっきりした変化を自覚できるほどではなかったけど、なんとなく自分のコンディションが調子いいな、って思ったときほど、「躁転」に気を付けるようにしていました。特に、何度も先生に言っていたのが、毎月の生理前にモヤモヤするってこと。気のせいだったかもしれないけど、そう思い込んでいました。いつの間にか、そう思うこともなくなっています。そうやって、何らかの変化に気付けたとき、コントロールが効かないこの病気について、やっと自分で手綱を握ったような、暗闇トンネルの中で光がみえてきたような気がしたものです。同様の変化の中で、私にとって一番自覚があった活動。それが、これからお話しする二つ。ヨガとドライブ。

 

外に出て、家族以外の人とも関わらなくっちゃ。23歳の頃、初めて適応障害になって地元に帰ってきた経験があった私は、また同じ状況に陥っている日々をどうにかしようと焦っていました。約10年都会に住んでいて、地元に戻ってきたら浦島太郎。言い過ぎました。私は突然、高校生に戻ったみたいな生活になりました。違うのは、友達はみんな地元から出て行ってた、ってこと…。人間関係を疎かにしていたことを悔やみました。でも、いずれにしてもあんまり変わりなかった。だって、友達たちが羨ましくて辛かったから。悩みが重すぎて、頼ることがほとんどできなかったから。やっぱり、甘えられるのは家族が中心でした。そんな中で始めたのが、ちょっと遠いところにあったけどヨガスタジオに通うことでした。

 

ヨガはメンタルにいい。それはよく知られていることだと思います。私がヨガを知ったのは、憧れの女性が続々ヨガを習慣にしていたからです。特に印象的だったのは、あんなエッセイが書けたらなあ、そう憧れる女優の中谷美紀さん。女優を辞めることも考えたという映画『嫌われ松子の一生』撮影時、あまりの精神的苦しさに、収録後にヨガスタジオに駆け込んでいたらしい。そして、私が大好きなモデル・SHIHOも失恋の傷を癒したのはヨガだったそう。よし、私もいつかはヨガだ。そう思っていました。

 

「泣いてください」。レッスン後に、先生が言った言葉。大人になって初めてそんなこと言われたな。私、ここに居てもいいんだな。とてもナーバスになって、リラックスできるリストラティブヨガのレッスンを初めて受けた私は、暗いスタジオの中で横になりながら涙を流していました。双極性障害であることを、ここでは隠さなくていいんだな。私のこと、受け入れてもらえる。そんなスタジオに出会えたことに感謝しました。

 

ヨガをしている人にはカルチャーがある。そんな風なことに気付いたのはそれからしばらくしてのこと。私を惹きつけていったのは、そのレッスンの効用というより、ポーズの気持ちよさというより、何よりヨガをしている人たちの自由な包容力でした。なんて言ったらいいんだろう、ヨガをしている人には、前置きはいらない。自分の不調を当たり前のように口にできる。そして、案外その経験は、先生にもあったりする。構えることがない、同じコミュニティの仲間なんだ。そんな感覚がありました。特別に仲がよい友達ができたわけでもなかった。でも、私にとってヨガスタジオが、なんだか心地よい居場所になりました。なんだろう、おじいちゃんの家みたい。無職の間、本もなかなか読めない状態にあった私にも、「やること」が見つかって嬉しかった。

 

ヨガを実践し始めて、一冊の本を読み終えました。それは、日本にヨガブームをもたらした第一人者、ケン・ハラクマの『ヨガから始まる―心と体をひとつにする方法』(朝日出版社、2008)という青い本。その帯には、「SHIHOさん推薦!」の文字が。買うでしょ。そこに書かれていたことに、私は何度もアンダーラインを引いていました。

 

 異なるもの、欠けているもの、ズレが生じているものを、調和させ、補い、均整をとろうとすること――これがバランスということです。

 

「左右非対称の中でバランス感覚を養う」。これがヨガのポーズから学ぶこと。「アンバランスのバランス」。私の中でそんな言葉がポッと浮かんできました。そうか、バランスがとれなくてもいい、不安定な日々でもいい。それを受け入れながら在ることが、本当のバランスなのかもしれない。ヨガに出会って、双極性障害の自分と出会って、私の新しい考え方として身に付いたものの一つでした。

 

双極性障害と運転って、似ている。長年ペーパードライバーだった私は、そう思いました。飛ばしすぎたらブレーキが必要だし、うっかり気を抜いたら事故にも遭う。カーブもあれば、回り道もある。たまにガス欠のトラブルだってあるかもしれない。人生って運転みたい。都会に約10年以上住んでいた私が、地元に帰ってきてヨガより先に取り組んだこと。それは、運転でした。「ここでは死活問題だからね」。クリニックの先生はあっさり運転を許可してくれました。

 

人の流れとは、反対方向へ。日中に街へと向かう車たちを対向車線に、私と父は平日の昼間からドライブするのが日課になっていきました。お決まりは、地元の山並みを眺めながらの田舎の自然コース。途中でお蕎麦を食べたり、地元で信仰されている神社へ立ち寄ったりもしました。都会の地下鉄に揺られていた日々では、こんないい空気は吸えていなかったな。自然の中でのんびり流れる時間、森林浴で浴びるマイナスイオン。そして時々、公園での車庫入れ練習。あるとき、山々に囲まれた一本道で、自分の悩みはちっぽけなのかもしれないな。いったい何を急いでいたんだろう。そう思わされました。故郷の自然が、着実に私を癒していきました。助手席で、道の駅で買ったお餅をほおばるのは、退職して実家にいた父教官。内心冷や冷やしていた、って後日談。

 

薬を服薬していると、運転できない人も多いとは思う。けれど運転は、薬の量が減るのと同じくらい、ときにはそれ以上に回復具合を知るバロメーターになると思います。だって、上達が日に日に実感できるから! それが楽しくて、自信に繋がっていきます。運転できる時間、距離、新しく覚えた道、新しく開拓した場所。すべてが、変わっていく自分の物差しになります。そうして、いつしか一人でドライブできるようになった自分がいます。今でもたまに、疲れた休日にはふらっと田舎の自然にふれに郊外へドライブに向かいます。ヨガはあんまり行けていないけれど、実は実家から遠いスタジオに通っていたからこそ、その経験が新しい職場への通勤に生かされました。すべては、次へのステップに繋がっていく。今日も山並みを目にしながら、私は田んぼ道をご機嫌でドライブするのでした。

 

2020/5/14 執筆)

ライブラリアンの視点 ―花田菜々子『出会系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(河出書房新社、2018年)

 

 

一気に読んだ。

内容を簡単に説明すると、一行に収まらないこのタイトルが語っている通りなのだけれど、ジャンルは何だろう?

司書として本の内容を数字で分類するのだが、それで行くと本当に913.6(日本の小説―近代)なのか。いや、これはエッセイ(914.6)でしょう!いやいや、自伝でもあるわけだから、916(ルポタージュ;ノンフィクションとざっくりイメージしている)かも?なんて思ったり。

 

離婚を前に、大好きだった仕事に行き詰りを感じていた女性が、新しい世界に無理やり自分を放り込んで、30分会っただけの人の個性を分析し、お勧めの本を紹介する武者修行を敢行。それを繰り返していく中で、自分を見つめ、成長し、新しいステージへとシフトしていく。いわば一人の女性のターニングポイントを垣間見るような実録小説。なにより読み易いのが特徴なので、エッセイ風の作品にも思える。

 

この人は、本が好きというより、本を通して人と繋がったり、人を知ったりすることが本当は好きなんじゃないかな。

本を紹介する武者修行、と言ってはいたが、気付けば本を懐刀に「人が好き」という自分の新しい側面を切り開いていったのではなかろうか。

それと同時に、自分自身とも向き合っていくプロセスが1年を通して語られている。特に、本を紹介する人から逆にコーチングを受けて号泣するシーンは印象的だった。

 

本を媒介に人と関わることを生業とする人。一応、司書をしている身としては、こんなに本が好きで、こんなにも沢山の本を読んでいて、それを飛び道具に人との関わりを築いていける人って、憧れだ。くすぶっている自分に刺激をもらえる一冊となった。

 

この本を企画展示に活かすとしたら、どうするだろう?

「読書の秋」として、本が好きすぎて自分の名前を関した賞を発表する書店員による『本屋の新井』なんかと合わせてみるのもあり。

進路やキャリアに悩む人に向けて、仕事の本など少し毛色が違うものとして混ぜるのもありかも。

個人的には、内面の葛藤とか、いわば「大人の発達」が根底にあるテーマだと思ったので、

心理学系の本にいれられたらいいかな、なんて思う。5月連休明けに対五月病として「自己肯定感」をテーマに展示を企画しようかと考えていたので、そこに入れるのもありだ。

 

以前から書店で何度もお勧めされているのを見てはいたが、もっと早く読めばよかった!

ブックオフに行って、再読用に買おう…!と思える久々の一冊だった。

 

どちらでもいい

 

先日、かねてより恋愛相談していた方から、

「承認欲求が強いのね」と言われ、しばし悶々としていました。

そうなのかなぁ。なんだかまた恋愛でモヤモヤしてきてました。

 

でも、こう思えたんです。

 

 私は、恋愛していなくてもいい。

 がんばらなくても、いい。

 仕事に100%集中できていなくてもいい。

 どちらでもいい。しばられない。

 してもいいし、しなくてもいい。

 

私の長年の癖で、つい、白か黒かの二者択一的思考になってしまうんです。

あと、自分の恩師にも言われたことだけど、完璧主義。

モヤモヤしてくるとき、根本的な原因は、その思考の癖にある気がする。

 

「○○なければならない」から、「○○でもいい」へ。

結果よりも、プロセスよりも、自分がどんな考え方ができるか、が大事

ではないかということに。

 

恋愛より夢中になれることがいくつもあってもいい!

その方が、突き詰めて結論を出そうとして苦しむよりも、

私らしく輝ける気がする。

 

「どちらでもいい」。

ネットでふと検索してみたら、こんな詩に出会いました。

田口久人さんて方が書いて、facebookで話題になってたそう。

 

***

 『どちらでもいい』

 

 友達は多くても少なくてもいい
 本音を話せる人がいるなら

 年収は高くても低くてもいい
 幸せに過ごせるなら

 家は広くても狭くてもいい
 自分に合っているなら

 モノを増やしても減らしてもいい
 大切なものがわかっているなら

 頭が良くても悪くてもいい
 まわりを喜ばせられるなら

 性格は明るくても暗くてもいい
 個性の1つだから

 化粧は厚くても薄くてもいい
 自分の魅力が伝わるなら

 子供は褒めても叱ってもいい
 愛情が伝わっているなら

 夢は小さくても大きくてもいい
 叶えられるなら

 人生は短くても長くてもいい
 本当に後悔をしないのなら

****

 

なんか、いいなぁって思い紹介。どうですか?

 

さて。今日思ったこと。そう。

「ちゃんと(自分の中で)失恋しよう」ということ。

 

 想っていてもいい。

 人として好きでもいい。

 やりとりしててもいい。

 好きでいられなくなってもいい。

 好きでいなくてもいい。し、好きでいてもいい。

 好きじゃなくなっても、いい。

 

こんなフレーズがぶわーっと出てきて、急に体がふっと軽くなったような感じ!

なんだか、垢がおちたような、久々に笑みが自然とこぼれていました。

 

私が好きな本で、坂之上洋子さんの

『世界で1番大切なことの見つけかた PRESENT プレゼント』

メディアファクトリー、2012)という

メッセージブックがあるんだけど、その中にこんな一節があります。

 

***

 『中途半端』

 

 人生は不安定で

 でこぼこしてて

 

 いつも、とっても

 中途半端

 

 でも(それがあたりまえ)って

 知ってるから

 

 あせらないで

 ここにのんびり座っていられるの

 

 ※英訳タイトル:LIFE IS ALWAYS HALFWAY.

 

***

 

 素敵じゃないですか?

 ”Life is always halfway”って、この言葉を知ってからよく呟いてた。

 「どちらでもいい」って考え方は、つまるところそういうことだと。

 

あと、日本のヨガブームの第一人者であるケン・ハラクマ氏の

とってもわかりやすいヨガの本、『ヨガから始まる―心と体をひとつにする方法』

朝日出版社、2012初版第5刷)の中にあった、

 

 「異なるもの、欠けているもの、ズレが生じているものを、

  調和させ、補い、均整をとろうとすること

  ――これがバランスということです。」

 

 「左右非対称の中でバランス感覚を養う。」

 

ってこととも、似ている気がしてはっとした。

私は、「アンバランスの中のバランス」って呼んでるんだけど、

そういう思考、ライフスタイルが、まだ完全にではないけれど、

30代になってからの自分の中に、新しいスタイルとして定着しつつある気がする。

 

恋愛の悩みから、なんだかとりとめなくなってしまったけれど、

いい意味で、意思をもって言う「どちらでもいい」。

これ、案外なんにでも効くかも。

私は今日、久々に楽になれました。

行き詰ったときは、お試しあれ☆彡

 

Have a beautiful night☆

ロールモデル ―SHIHO『WHO AM I? WHAT AM I?』(マガジンハウス、2006)

 

WHO AM I?WHAT AM I?

WHO AM I?WHAT AM I?

 

 

 

憧れの女性はいますか?

ちょっと素敵だな、その考え方っていいな。そう思える女性はあなたにも何人かいるはず。

でも、本当の意味でロールモデルにできる女性って、案外少ない。

私にとって、モデルとなる女性。それは、文字通りモデルのSHIHOさんです。

身長が低く、悲しいことに太っている私にとって、その外見を真似することは不可能に近い。

私が彼女に魅かれるのは、その内面です。

彼女の初のスタイルブックは、姉の本棚にありました。でも、最初はその魅力に気付けなかった。ファッション誌の着回し特集でいつも笑っているモデルさん、そんなイメージしかありませんでした。きっかけは、大学時代に好きになった男子が「SHIHOが好き」って言ったこと。それを聞いた私は、姉の本を初めて手に取りました。そして、なんとなく彼女を研究し始めました。でもまだ、なんだかいい感じの人だな、そんな程度でした。

 

SHIHOとの本格的な出会いは、私が23歳の頃。そのとき、私は「適応障害」というメンタルの病気に初めてなり、自分が何をしていいか分らない人生初めてのピンチに陥っていました。将来どうしよう、そんなことばかり考えてさまよう中で、地元の書店でふと目にしたピンクの小さなフォトブック。それがSHIHOの『WHO AM I ? WHAT AM I ?』(マガジンハウス、2006)でした。そのあとがきを、私は何度も何度も読み返していました。

 

 困難に出会ったとき、うまくいくことや

 いかせることが重要なのではなく

 どう受け止められるかが大切ではないかということに。

 

 そのときの私には、何もできていない自分を、

 どうにもならない現実を、受け入れることが必要でした。

 

明るく笑っている彼女も、こんなに苦しんでいたんだ…。SHIHOも、人間関係の問題ではあるけれど、「人生で初めて経験する混沌」の中にいたこと。なんだか、今の自分の「声」を言葉にしてくれているような、そして指針になるような気がしました。

彼女が創りだす本は、そのビジュアルイメージがとってもさりげないのに印象的。ある頁を見てはっとしました。それは、お玉じゃくしを撮った写真。その横に書いてあったのが、

 

 未知のものの中からしか 可能性は広がらない

 

という言葉。人生のトンネルの中に迷い込んでいた私に、力を与えてくれるフレーズでした。その後、困難に遭遇したとき、また道に迷ったとき、ネガティブになったときなど、あらゆる機会に、私はこのSHIHOの言葉を思い出すようになりました。

 

それから彼女は何冊も著書を出版していきましたが、それらを読むたびに、私にとって憧れの女性になっていきました。トップモデルだからではなく、その内面に共感でき、また家族への愛が深いところも自分と似ていて信頼できると思いました。

ずっと気になっていた、ヨガに瞑想、グリーンスムージーSHIHOのライフスタイルに近づきたくて、私もトライしてみました。でもなかなか続かない! 彼女は意志の人、努力の人でもあるので、尊敬しつつ、途切れとぎれになる私は思い出したようにまた、彼女のエクササイズ本を見ながらストレッチから始めます。そのたびに、なんだか心も身体もすっきりして、本来の自分に戻る気がしています。憧れの女性みたいにはなれないけれど、そのエッセンスを自分の生活に取り入れてみることはできる。そうやっているうちに、私は気付いたらエッセイを書くまでに回復していました。いつか、SHIHOさんみたいなスタイルブックを創って、「モデル・SHIHOさん推薦!」て帯が付いて、本の出版イベントで彼女とtalkすること。それが今、私の大きな夢です。

 

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私を支えた小さなフォトブック

 

「派遣だから」? ―大草直子『「おしゃれな人」はおしゃれになろうとする人』(幻冬舎、2012)

 

「おしゃれな人」はおしゃれになろうとする人

「おしゃれな人」はおしゃれになろうとする人

  • 作者:大草 直子
  • 発売日: 2012/07/27
  • メディア: 単行本
 

 

「今、何回“派遣だから”って言ったと思う?」。

 

キャリアカウンセラーの資格を持つ同僚に、仕事の悩みを相談して言われた言葉。そうだ、(派遣だから、~できない)。いつからかそんな思考に囚われて、自分の限界を狭めていたことにはっとした。人間関係が上手くいかない、図書館に人が来ないから仕事がなくて辛い。辞めて京都に戻りたい。そんなことばかり考え、軸がブレる自分を否定して、ネガティブスパイラルに入っていた。自己肯定感が低い。それが鋭い同僚に指摘されたことだった。

 

でも、自己肯定感って一朝一夕でできるものじゃないよね?

そこで私が始めたのは、毎日“I Love myself.”と呟くこと。私は、私を愛しています、アイラブマイセルフ。自分を否定するのを止めて、等身大のまま受け入れる練習。これは、スタイリストの大草直子さんのエッセイ『「おしゃれな人」はおしゃれになろうとする人』(幻冬舎、2012)に書かれていたこと。自分を好きになることは、訓練。彼女はそう言い切る。そうなんだ、私も大草さんみたいな笑顔が素敵な女性になりたいな、そう思った。何かあるたびに、私は呟いてる、「アイラブマイセルフ」。

 

今日も言おう、"I Love myself"。

今夜は十五夜だって。お月様がとっても綺麗で、久しぶりの月光浴。

 

Have a beautiful Moom day☽

派遣司書

「5年後、どうなっていたい?」。

そんな質問に、答えられないあなたへ。

 

結婚もまだ、彼氏もいない、仕事も中途半端、ボーナスも貰ったことがない。おまけに約10年間、双極性障害。20代はがむしゃらで精一杯がんばってきたはずなのに、30歳を過ぎてまだ何も形になっていない。婚活しても、失敗ばかり。周りの女友達と自分を比べてしまって、苦しくなる。何より、漠然と不安で、とにかく焦る。ヒントを探そうと書店に行っても、ロールモデルが見つからない。それが、少し前の私の姿。

けれども、30代になって数年のうちに私の人生は緩やかにリニューアルしていきました。それは決して簡単なことじゃなかったけれど、20代を肯定し直し、ワードローブを入れ替えるように、自分に合ったスタイルを作り始めた私がここにいます。

 

なぜ、「派遣司書」なのか。それは、この言葉が一番、自分のこれまでの道のりを表しているからであり、また、転換期となった時期だから。私は、正規の仕事で成功し輝くバリキャリではないし、かといって、結婚して子どもを授かって幸せな家庭をもったゆるキャリでもありません。両者の中間にいる、非正規のアラサー女子でした。「35歳までには結婚して、子どももほしい!」。そんなことを漠然と考えながら、じゃあ未来の自分の姿がみえるのかといったら、全然みえなかった。焦って、やりたいことを探そうとしても、これというものがみつからなかった。そして、自分のキャリアに常に不安を抱えて過ごしていました。「私みたいなアラサーって、結構いるんじゃないかな?」「そういう女性たちのモヤモヤ解決のヒントになるような本って少ないな」。そう思ったのが、始まりでした。

 

司書である私は、同時に「双極性障害」でもあります。双極性障害とは、鬱による落ち込みと、ハイになって異常に活発になること、そういうメンタルの波を繰り返していく病気です。薬を飲み始めて、約10年が経ちました。双極性障害は、鬱ほどメジャーではないため、情報が少なく、また一般的知識について書かれた医学の本には、自分は当てはまりませんでした。かといって、苦しいものは苦しい。具体的に回復に向かうヒントがほしいと思ってブログなどにあたっても、実はそのほとんどが読んでいて落ち込む内容のものばかり。じゃあ、ポジティブなブログを書こう!そう思ったのが、私が「ブログ」という形で病気に向き合う姿も記した理由です。