アラサーの乗り越え方

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ヨガとドライブ

 

ヨガから始まる―心と体をひとつにする方法 (カルチャー・スタディーズ)

ヨガから始まる―心と体をひとつにする方法 (カルチャー・スタディーズ)

 

 

双極性障害になってキツイな、って思うこと。それは、「自分が回復しているのかわかりにくい!」ってこと。ウツ状態から回復したら、さあOK!って病気じゃないんです。「私、回復してる!なんか元気出てきた!」って時こそ、注意が必要。「躁状態」になってる可能性があるから。メンタルの波がマイナスからゼロ地点を通り越して、大きく上がりすぎる。その後待ってるのは、下降の波…。「躁」はテンションが上がるからむしろ本人は心地よいんだけれど、その後にあのウツ状態の苦しさが来るのかと思うと、ブレーキを踏まざるをえませんでした。私の場合は、はっきりした変化を自覚できるほどではなかったけど、なんとなく自分のコンディションが調子いいな、って思ったときほど、「躁転」に気を付けるようにしていました。特に、何度も先生に言っていたのが、毎月の生理前にモヤモヤするってこと。気のせいだったかもしれないけど、そう思い込んでいました。いつの間にか、そう思うこともなくなっています。そうやって、何らかの変化に気付けたとき、コントロールが効かないこの病気について、やっと自分で手綱を握ったような、暗闇トンネルの中で光がみえてきたような気がしたものです。同様の変化の中で、私にとって一番自覚があった活動。それが、これからお話しする二つ。ヨガとドライブ。

 

外に出て、家族以外の人とも関わらなくっちゃ。23歳の頃、初めて適応障害になって地元に帰ってきた経験があった私は、また同じ状況に陥っている日々をどうにかしようと焦っていました。約10年都会に住んでいて、地元に戻ってきたら浦島太郎。言い過ぎました。私は突然、高校生に戻ったみたいな生活になりました。違うのは、友達はみんな地元から出て行ってた、ってこと…。人間関係を疎かにしていたことを悔やみました。でも、いずれにしてもあんまり変わりなかった。だって、友達たちが羨ましくて辛かったから。悩みが重すぎて、頼ることがほとんどできなかったから。やっぱり、甘えられるのは家族が中心でした。そんな中で始めたのが、ちょっと遠いところにあったけどヨガスタジオに通うことでした。

 

ヨガはメンタルにいい。それはよく知られていることだと思います。私がヨガを知ったのは、憧れの女性が続々ヨガを習慣にしていたからです。特に印象的だったのは、あんなエッセイが書けたらなあ、そう憧れる女優の中谷美紀さん。女優を辞めることも考えたという映画『嫌われ松子の一生』撮影時、あまりの精神的苦しさに、収録後にヨガスタジオに駆け込んでいたらしい。そして、私が大好きなモデル・SHIHOも失恋の傷を癒したのはヨガだったそう。よし、私もいつかはヨガだ。そう思っていました。

 

「泣いてください」。レッスン後に、先生が言った言葉。大人になって初めてそんなこと言われたな。私、ここに居てもいいんだな。とてもナーバスになって、リラックスできるリストラティブヨガのレッスンを初めて受けた私は、暗いスタジオの中で横になりながら涙を流していました。双極性障害であることを、ここでは隠さなくていいんだな。私のこと、受け入れてもらえる。そんなスタジオに出会えたことに感謝しました。

 

ヨガをしている人にはカルチャーがある。そんな風なことに気付いたのはそれからしばらくしてのこと。私を惹きつけていったのは、そのレッスンの効用というより、ポーズの気持ちよさというより、何よりヨガをしている人たちの自由な包容力でした。なんて言ったらいいんだろう、ヨガをしている人には、前置きはいらない。自分の不調を当たり前のように口にできる。そして、案外その経験は、先生にもあったりする。構えることがない、同じコミュニティの仲間なんだ。そんな感覚がありました。特別に仲がよい友達ができたわけでもなかった。でも、私にとってヨガスタジオが、なんだか心地よい居場所になりました。なんだろう、おじいちゃんの家みたい。無職の間、本もなかなか読めない状態にあった私にも、「やること」が見つかって嬉しかった。

 

ヨガを実践し始めて、一冊の本を読み終えました。それは、日本にヨガブームをもたらした第一人者、ケン・ハラクマの『ヨガから始まる―心と体をひとつにする方法』(朝日出版社、2008)という青い本。その帯には、「SHIHOさん推薦!」の文字が。買うでしょ。そこに書かれていたことに、私は何度もアンダーラインを引いていました。

 

 異なるもの、欠けているもの、ズレが生じているものを、調和させ、補い、均整をとろうとすること――これがバランスということです。

 

「左右非対称の中でバランス感覚を養う」。これがヨガのポーズから学ぶこと。「アンバランスのバランス」。私の中でそんな言葉がポッと浮かんできました。そうか、バランスがとれなくてもいい、不安定な日々でもいい。それを受け入れながら在ることが、本当のバランスなのかもしれない。ヨガに出会って、双極性障害の自分と出会って、私の新しい考え方として身に付いたものの一つでした。

 

双極性障害と運転って、似ている。長年ペーパードライバーだった私は、そう思いました。飛ばしすぎたらブレーキが必要だし、うっかり気を抜いたら事故にも遭う。カーブもあれば、回り道もある。たまにガス欠のトラブルだってあるかもしれない。人生って運転みたい。都会に約10年以上住んでいた私が、地元に帰ってきてヨガより先に取り組んだこと。それは、運転でした。「ここでは死活問題だからね」。クリニックの先生はあっさり運転を許可してくれました。

 

人の流れとは、反対方向へ。日中に街へと向かう車たちを対向車線に、私と父は平日の昼間からドライブするのが日課になっていきました。お決まりは、地元の山並みを眺めながらの田舎の自然コース。途中でお蕎麦を食べたり、地元で信仰されている神社へ立ち寄ったりもしました。都会の地下鉄に揺られていた日々では、こんないい空気は吸えていなかったな。自然の中でのんびり流れる時間、森林浴で浴びるマイナスイオン。そして時々、公園での車庫入れ練習。あるとき、山々に囲まれた一本道で、自分の悩みはちっぽけなのかもしれないな。いったい何を急いでいたんだろう。そう思わされました。故郷の自然が、着実に私を癒していきました。助手席で、道の駅で買ったお餅をほおばるのは、退職して実家にいた父教官。内心冷や冷やしていた、って後日談。

 

薬を服薬していると、運転できない人も多いとは思う。けれど運転は、薬の量が減るのと同じくらい、ときにはそれ以上に回復具合を知るバロメーターになると思います。だって、上達が日に日に実感できるから! それが楽しくて、自信に繋がっていきます。運転できる時間、距離、新しく覚えた道、新しく開拓した場所。すべてが、変わっていく自分の物差しになります。そうして、いつしか一人でドライブできるようになった自分がいます。今でもたまに、疲れた休日にはふらっと田舎の自然にふれに郊外へドライブに向かいます。ヨガはあんまり行けていないけれど、実は実家から遠いスタジオに通っていたからこそ、その経験が新しい職場への通勤に生かされました。すべては、次へのステップに繋がっていく。今日も山並みを目にしながら、私は田んぼ道をご機嫌でドライブするのでした。